大阪を水害から救った毛馬の閘門!驚きの仕組みと重要文化財の謎に迫る

大阪を水害から救った毛馬の閘門!驚きの仕組みと重要文化財の謎に迫るの注目ポイントを詳しく解説してご紹介します。

毛馬の閘門が建設された最大の引き金は、1885年(明治18年)に発生した「明治十八年の淀川大洪水」でした。淀川の堤防が決壊し、大阪市街地の大部分が水没、死者・被災者甚大という未曾有の大惨事となったのです。

当時の大阪は「水の都」として舟運が経済の動脈であった一方、ひとたび大雨が降れば河床の浅い旧淀川に水が集中し、容易に氾濫を起こす構造的弱点を抱えていました。これに対し、明治政府はオランダから招いた「お雇い外国人」技師ヨハニス・デ・レーケの指導のもと、抜本的な淀川改修工事の策定に着手します。

デ・レーケの構想を受け、日本人技師の沖野忠雄(おきの ただお)らが主導した計画は、大阪湾へまっすぐ水を流す広大な放水路「新淀川」を開削するという前代未聞の国家プロジェクトでした。このとき、新淀川本流の洪水を防ぎつつ、大阪市内(大川)への流量を厳密に制限し、なおかつ船の往来を絶やさないための切り札として計画されたのが、毛馬の閘門と洗堰だったのです。

山崎 陸

山崎 陸

ガジェット&アプライアンスライター

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