若きエリート田沼意知暗殺の真相|江戸城刃傷事件と父意次の失墜

若きエリート田沼意知暗殺の真相|江戸城刃傷事件と父意次の失墜にまつわる役立つ知識を詳しく紐解きます。

意知が落命した直後、江戸の街で起きた現象は異様というほかありませんでした。切腹となった暗殺者・佐野政言の遺体が葬られた浅草の徳雲寺(現・東京都文京区)には、連日何千人もの民衆が押し寄せ、線香の煙が絶え間なく立ち込めました。

江戸の町民たちは佐野政言を「世直し大明神」と崇め奉り、その墓石を削って勝負事のお守りにしたり、佐野にあやかった狂歌や落首を壁に貼り出したりしました。

当時の狂歌には、民衆の狂熱と田沼政権への憎悪が赤裸々に刻まれています。

「頼もしく なお面白き 世の中の 田沼の水は 佐野にせかれて」
「ありがたや 志るこ(汁粉)のあずき(小豆)煮えかねて 善左衛門がま(釜)のふたあける」

なぜここまで意知は憎まれたのか。最大の背景には、天明2年(1782年)から続く天明の大飢饉と、天明3年の浅間山大噴火による未曾有の食糧危機がありました。米価が高騰し、餓死者が道にあふれる中で、田沼一族が商人から多額の献金を受け取り、豪奢な暮らしを送っているという風聞が民衆のルサンチマンに火をつけたのです。

佐野政言は、日々の飢えと閉塞感に苦しむ大衆にとって、理不尽な現実に風穴を開けてくれた「ダークヒーロー」として祭り上げられました。意知個人の政策の先進性は、飢饉という自然災害と情報操作の波に完全に呑み込まれてしまったのです。

伊藤 翔太

伊藤 翔太

フード&トラベルライター

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。