人斬り以蔵の真実|冷酷な暗殺者か悲劇の剣士か?史実と最期を追う
Q1:岡田以蔵は生涯で実際に何人くらいの人を斬ったのですか?
A1:史料上、岡田以蔵が直接関与したとされる天誅事件で命を落とした人物は、本間精一郎や井上佐一郎など判明しているだけで3〜4件、関与した人数としては数人から十数人程度とされています。後世の小説や映画では数十人を無差別に斬り倒す描写もありますが、実際には土佐勤王党の政治的な暗殺計画に基づき、複数人のグループで標的を仕留めるケースがほとんどでした。
Q2:坂本龍馬と岡田以蔵は本当に仲が良かったのでしょうか?
A2:二人は同じ土佐の郷士階級であり、若い頃から面識がありました。身分の低さから勤王党内で軽視されがちだった以蔵の剣の才能を龍馬は高く評価し、勝海舟の護衛役を紹介するなど親身に面倒を見ていました。思想の違いから袂を分かつことにはなりましたが、龍馬は最後まで以蔵の身を案じていたと伝えられており、二人の間には強い友情と相互リスペクトが存在していました。
Q3:幕末四大人斬りの中で、なぜ岡田以蔵だけが処刑されたのですか?
A3:他の三人は、明治維新まで生き延びて陸軍少将となった中村半次郎(桐野利秋)、維新後に新政府の方針に反発して処刑された河上彦斎、捕縛直後に尋問を拒んで自刃した田中新兵衛という末路を辿っています。以蔵だけが幕末の時点で土佐藩によって打ち首・獄門となった最大の理由は、後ろ盾を完全に失い、身分が足軽格と低かったこと、そして過酷な拷問によって仲間の罪状を自白してしまったことが挙げられます。