三跪九叩頭の礼とは?マカートニー拒絶の真相と屈辱の歴史を徹底解剖
三跪九叩頭の歴史において、最も過酷で生々しい悲劇として語り継がれているのが、1637年に朝鮮半島で起きた「三田渡(サムジョンド)の盟約」です。
清朝の創始者である太宗ホンタイジは、明を崇拝し清を蔑視していた朝鮮王朝(李氏朝鮮)に親征(丙子の乱)。南漢山城に追い詰められた第16代国王・仁祖(インジョ)は、極寒の漢江のほとり・三田渡にあった清軍本営へ引きずり出されました。
仁祖は青衣(平民の服)を身にまとい、壇上に君臨するホンタイジに向かって三跪九叩頭の礼を行いました。叩頭の音が地面に響くまで何度も頭を打ち付けさせられ、仁祖の額からは血が流れ出して地面を染めたと伝えられています。この屈辱的な降伏儀礼により、朝鮮は明との関係を完全に断ち切られ、清の属国として過酷な貢女や兵糧の提供を義務付けられました。現場には清皇帝の功徳を称える「大清皇帝功徳碑(三田渡碑)」が建てられ、今日に至るまで歴史の痛恨事として記憶されています。