大島渚が遺した激動の生涯|朝生の怒号の真相と壮絶な介護の全貌

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順風満帆に見えた巨匠の人生は、1996年2月、突如として暗転します。英国・ロンドン滞在中に脳出血を発症し、右半身の麻痺と言語障害という過酷な後遺症に見舞われたのです。映画監督として生命線を断たれたかに見えた大島を支え抜いたのが、1960年に結婚した妻であり女優の小山明子でした。

小山明子の手記や当時の取材資料によると、介護生活は想像を絶する困難の連続でした。かつて家庭内でも絶対的な君臨者であった夫が、排泄や食事にも介助を必要とする現実。さらに、脳疾患特有の感情失禁やリハビリの停滞が重なり、献身を続けた小山自身も深刻な「うつ病(介護うつ)」を発症。著書『パパはマイナス50点』などで、自ら命を絶つことすら考えた極限の心理状態を包み隠さず告白しています。

しかし、この壮絶な試練は、長年連れ添った夫婦のあり方を根底から作り直す契機ともなりました。小山が病気から回復する過程で、夫妻は互いに弱さを認め合い、大島もまた不自由な口と言葉で「明子、ありがとう」と感謝を口にするようになったといいます。妻の献身的なリハビリ支援を受け、大島は1999年に車椅子に乗りながら映画『御法度』を完成。不屈の執念でカンヌ国際映画祭のレッドカーペットに再び立ち、世界中から万雷の拍手で迎えられました。

その後、再び脳梗塞を発症して療養生活を続けていた大島渚は、2013年1月15日午後3時25分、神奈川県藤沢市の病院にて肺炎のため80歳で息を引き取りました。17年間に及ぶ闘病生活を完走し、最期は妻・小山明子と長男・武、次男・新ら家族に見守られながらの静かな旅立ちでした。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。