有賀さつきの早すぎる別れと現在|病気を隠した真因と家族の軌跡
有賀さつきさんのキャリアは、日本のテレビ史における「女子アナウンサーのパラダイムシフト」そのものでした。
東京都出身で、フェリス女学院大学文学部英米文学科を卒業後、1988年にフジテレビへアナウンサーとして入社。同期入社には八木亜希子さん、河野景子さん(後に貴乃花光司氏と結婚、現在はフリー)がおり、この3人は「花の三人娘」と呼ばれ、社会現象を巻き起こしました。
それまでの女性アナウンサーは、ニュースを厳格に読み上げる「アシスタント」という位置づけが主流でした。しかし、有賀さんは持ち前の華やかなビジュアルと、飾り気のない屈託のないキャラクターでバラエティ番組に新風を吹き込みます。競馬番組や情報番組で見せる機転の利いたトークに加え、時には「旧中山道(きゅうなかせんどう)」を「いちにちじゅうやまみち」と誤読してしまうような愛嬌あふれるハプニングさえも自身の魅力へと昇華させました。
1992年にフジテレビを退社してフリーアナウンサーに転身後も、数々の情報・バラエティ番組で司会やパネラーを務め、テレビ界における「女性アナウンサーのタレント化・自立化」のパイオニアとして道を切り拓きました。