米津玄師の昔と現在を徹底解剖!ハチ時代の苦悩と生い立ちの全真相
2009年、米津玄師は「ハチ」という名義で動画共有サービスニコニコ動画への投稿を開始します。当時盛り上がりを見せていたVOCALOID(初音ミクやGUMIなど)を用いた楽曲制作でした。
『結ンデ開イテ羅刹ト屍』『マトリョシカ』『パンダヒーロー』といった楽曲は、中毒性の高い変拍子、疾走感あふれるロックサウンド、そして自身が描くダークでポップなアニメーションMVが融合し、瞬く間にネットカルチャーの中心へと躍り出ました。投稿された楽曲は次々とミリオン(100万回再生)を達成し、ボカロ界屈指のカリスマPとしてその名を轟かせます。
しかし、このボカロP過去において、本人は深刻な葛藤を抱えていました。雑誌のロングインタビュー等で当時の心境をこう振り返っています。
「ボーカロイドという隠れ蓑を使って、自分のキャラクターを消して音楽を作っていた。でも、どれだけ評価されても『初音ミクが歌っているから聴かれているのではないか』という疑念が消えなかった」
画面の向こう側の熱狂と、一人部屋でパソコンに向かい続ける現実とのギャップ。自らの肉声で歌い、生身の人間として勝負しなければ前に進めないという強い危機感が、2012年の本名「米津玄師」名義でのデビュー当時のアルバム『diorama』へと繋がっていきます。