中央線の鉄道唱歌に幻の歌詞?甲武鉄道の歴史と現在の停車駅を徹底検証

中央線の鉄道唱歌に幻の歌詞?甲武鉄道の歴史と現在の停車駅を徹底検証の重要なポイントについて、分かりやすい解説を基に徹底解説します。

国文学者・大和田建樹が作詞し、明治33(1900)年5月に発表された『地理教育 鉄道唱歌 第一集 東海道編』は、当時の日本において空前の大ベストセラーとなりました。「汽笛一聲新橋を はや我汽車は離れたり」の導入は、近代化に沸く日本国民の胸を打ち、その後、山陽・九州編、奥州・磐城編、北陸編、関西・参宮・南海編と全5集(のちに北海道編も追加)が相次いで刊行されました。

しかし、愛好家の間で長年「ミッシングリンク」として囁かれてきたのが、東京から西へと向かう「中央本線」の存在です。東海道や山陽が官設鉄道として華々しく歌われた一方で、当時の中央線の原型は、民営のパイオニア企業であった「甲武鉄道」によって建設が進められていました。甲武鉄道は1889(明治22)年に新宿〜立川、そして同年に立川〜八王子を開業させ、のちにお茶の水方面へと都心側へ線路を延ばしていきました。

公教育や公式楽譜集に収録された全5集と異なり、中央線にまつわる鉄道唱歌は、甲武鉄道の延伸や、明治39(1906)年の鉄道国有法公布に伴う「官設中央本線」への編入期に、地域案内や記念事業として別枠で制作された歴史的経緯があります。大和田建樹自身が明治末期に著した沿線紀行や派生作品の調査記録によると、甲武鉄道の電化区間や甲府延伸(1903年・明治36年の笹子トンネル開通)を祝う歌が複数試作されており、版権の所在や私鉄買収の混乱のなかで正規の全集から外れ、「幻の中央線鉄道唱歌」として埋もれていくことになりました。

鈴木 陽菜

鈴木 陽菜

テックライター兼ウェブディレクター

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