池田勇人の功績と所得倍増計画の真実|名言の誤解から宏池会の源流まで
池田勇人が総理大臣に就任した1960年7月、日本は騒然とした政治の季節の中にありました。前任の岸信介内閣が強行した日米安保条約改定に対する大反対運動(60年安保闘争)で国民の対立は極限に達し、社会には深刻な閉塞感が漂っていました。そこで池田が掲げたのが、政治対立から国民の関心を経済発展へと鮮やかにシフトさせる「所得倍増計画」でした。
この構想は、エコノミストの下村治ら一流のブレーン陣とともに練り上げられた緻密な経済理論に基づいています。「10年間で実質国民総生産(GNP)を2倍にし、国民生活水準を西欧先進国並みに引き上げる」という明確な数値目標は、国民に強い勤労意欲と希望を植え付けました。減税、社会保障の拡充、公共投資の重点配分を軸とした積極財政を展開し、民間企業の旺盛な設備投資と技術革新を強力に後押ししたのです。
結果として、日本経済は驚異的なスピードで拡大しました。「三種の神器」(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)から「3C」(カラーテレビ・クーラー・自動車)へと消費革命が広がり、日本は一億総中流社会への階段を一気に駆け上がりました。池田の卓越した舵取りは、経済企画庁(当時)の白書が掲げた「もはや戦後ではない」という言葉を、真の意味で国民の実感へと変えたのです。