宇治拾遺物語『小野篁広才のこと』徹底解説!現代語訳と謎解きの真相
説話の中で規格外の知性を見せた小野篁(802年〜853年)は、実在した平安時代初期の超エリート官僚です。小野妹子の子孫であり、歌人・小野小町の祖父(あるいは叔父)にあたります。若年の頃は弓馬に熱中して学問を嫌いましたが、嵯峨天皇の忠告を受けて発奮し、文章生(もんじょうしょう)となって異例のスピード出世を果たしました。
文武両道で漢詩の腕前は当代随一、小倉百人一首にも「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」で選ばれるなど、万能の天才として名を馳せました。しかし、気骨があり妥協を許さない性格から、遣唐副使に任じられた際には正使の藤原常嗣の横暴に怒って乗船を拒否し、時の朝廷を風刺する詩を書いて隠岐へ配流されるという波乱万丈の生涯を送っています。
その常人離れした知性と反骨精神から、後世には数多くのオカルト的な伝説が生まれました。代表的なものが「冥界通い伝説」です。京都の六道珍皇寺にある井戸から夜な夜な地獄へ降り、閻魔大王の補佐役(裁判官)を務めていたという伝説は、今なお京都の観光名所や怪談話として語り継がれています。「小野篁広才のこと」に描かれる圧倒的なオーラは、こうした伝説が生まれる土壌となった彼の強烈な実像を反映しています。