江戸三大改革はなぜ失敗したのか?吉宗・定信・忠邦の真相と覚え方

江戸三大改革はなぜ失敗したのか?吉宗・定信・忠邦の真相と覚え方に関する疑問や疑問点をわかりやすくまとめました。要点を確実におさえることができます。

Q1:江戸三大改革の指導者と順番を一瞬で思い出すコツはありますか?
A1:順番は「きょう(享保)・かん(寛政)・てん(天保)」と覚えます。指導者は「吉宗(8代将軍)→ 定信(白河藩主・老中)→ 忠邦(浜松藩主・老中)」の順です。中学生・高校生の方は、吉宗が始めた享保から約70年後に定信、さらに約50年後に忠邦と、時代が下るにつれて切迫感が増していく流れを押さえておくと忘れにくくなります。

Q2:なぜ田沼意次の政治は「三大改革」の中に含まれないのですか?
A2:三大改革がいずれも「質素倹約・農業重視・武士の規律回復」という伝統的秩序への回帰を目指した復古的な改革だったのに対し、田沼意次の政治は「商業の活性化・市場税の徴収・積極的な開発」を目指す正反対の近代的な経済政策だったためです。歴史的に目指した方向性が根本から異なるため、伝統的な「三大改革」の枠組みからは区別されています。

Q3:寛政の改革の「棄捐令」と天保の改革の「株仲間の解散」はなぜ失敗したのですか?
A3:どちらも市場の信用経済を壊してしまったためです。棄捐令は武士の借金を帳消しにしたため、商人たちが武士への融資を拒否して武家社会の資金繰りが完全にショートしました。また株仲間の解散は、物価引き下げを目的に独占組織を解体したものの、かえって集荷・流通システムを麻痺させ、物資不足によるさらなる物価高騰を招いて自滅しました。

松本 悠斗

松本 悠斗

サステナビリティ研究家

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。