兼好法師はどんな人?毒舌で世渡り上手なエリート官人の正体
兼好法師は弘安6年(1283年)頃、京都の由緒ある神職の家系である卜部氏(うらべし)に生まれました。本名は卜部兼好(うらべのかねよし)であり、教科書などでおなじみの「吉田兼好」という呼び名は、室町時代以降に実家の吉田神社にちなんで定着した通称です。
若き日の兼好は、和歌や漢学に秀でた優秀な若手官僚として頭角を現します。鎌倉時代末期、後宇多上皇に仕えて宮中の秘書官ともいえる重要な役職六位蔵人(ろくいのくろうど)に抜擢されました。天皇や上皇の身の回りの雑務から機密文書の取り扱いまでを担うこのポストは、当時の貴族社会における出世のエリートコースでした。
身分の壁こそあったものの、持ち前の教養と洗練された社交性で宮廷サロンの中心に食い込み、当代一流の歌人たちとも肩を並べています。清貧な隠者というパブリックイメージとは裏腹に、華やかな政治と文化の最前線でキャリアをスタートさせた実務派知識人だったのです。