五榜の掲示とは?御誓文との違いとわずか5年で撤去された歴史の真相

五榜の掲示とは?御誓文との違いとわずか5年で撤去された歴史の真相の疑問点について、分かりやすい解説を詳しくお届けします。

しかし、中世・近世的な宗教弾圧が通用する時代はとっくに過ぎ去っていました。この苛烈なキリシタン弾圧は、長崎に駐在する各国の領事や公使を通じて即座に欧米本国へと打電され、凄まじい国際世論の猛反発を引き起こします。

決定打となったのが、1871年(明治4年)末に出発した岩倉使節団の外遊でした。特命全権大使・岩倉具視をはじめ、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文ら新政府の首脳陣は、不平等条約の改正予備交渉のためにアメリカ、イギリス、フランス、ドイツなどを歴訪しました。しかし、彼らが訪れた先々で待っていたのは、条約改正の議論どころか、人権弾圧に対する激しい批難の嵐でした。

アメリカ大統領ハミルトン・フィッシュ国務長官との会談、さらにはイギリスのグラッドストン首相との会見においても、決まって突きつけられたのは「野蛮な宗教弾圧を行う国と、対等な条約を結ぶことなどあり得ない」という冷酷な通告でした。外交史料館に残る記録によると、岩倉や木戸は日記のなかで「条約改正どころか、日本の文明国としての信用はゼロに等しい」と屈辱と焦燥を吐露しています。

外圧に屈するほかないと悟った政府首脳は、日本に残留していた留守政府(西郷隆盛、板垣退助ら)に緊急打電し、禁教政策の転換を強く促しました。こうして1873年(明治6年)2月24日、新政府は太政官布告第68号を布告し、五榜の掲示を含むすべての「高札」の撤去を全国に命じたのです。1868年の掲示からわずか5年足らずでの幕引きでした。

伊藤 翔太

伊藤 翔太

フード&トラベルライター

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。