三社祭とヤクザの現在|刺青露出や神輿乗りの禁止と排除の真相
三社祭とアウトロー勢力の関係を理解するには、浅草という街が歩んできた興行と盛り場の歴史に目を向ける必要があります。江戸時代から歓楽街として栄えた浅草周辺には、露店を束ねる的屋(テキヤ)や賭場を開く博徒が根を張り、街の治安や祭礼の現場にも一定の影響力を持っていました。
かつての祭りでは、神輿を担ぐ荒々しさが「男気」や「粋」として称賛される土壌があり、その熱気の中で暴力団関係者が存在感を誇示するケースが常態化していました。昭和から平成初期にかけては、神輿を担ぎながら半纏(はんてん)を脱ぎ捨て、背中一面の見事な和彫りを観客に見せつける光景が半ば名物のように扱われていた時期さえあります。
写真愛好家や外国人観光客がその特異な光景をカメラに収め、メディアでもセンセーショナルに報じられた結果、「三社祭=刺青=ヤクザの祭り」という強固なパブリックイメージが全国に定着してしまったのです。