平安貴族の食事が超不健康な真相!短命を招いた献立と庶民との違い

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不健康な宮廷食がもたらした悲劇を最も象徴する歴史上の人物が、「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」の和歌で知られる最高権力者・藤原道長(966〜1027年)です。道長の晩年の病状については、同時代の公卿である藤原実資(ふじわらのさねすけ)が記した日記『小右記(しょうゆうき)』や、道長自身の自筆日記『御堂関白記』に、現代の医師が読めば即座に診断がつくほど克明な一次記録が残されています。

長和5年(1016年)頃から、50歳を迎えた道長の体には明らかな異変が現れました。『小右記』の記述を紐解くと、道長が周囲に漏らした生々しい告白と観察記録が確認できます。

「昼夜を問わず喉が渇いて水を大量に飲むが、口の中が常に乾き、体力が著しく落ちていく。目もかすんで人の顔すら判別しがたい」(『小右記』長和5年〜寛仁年間の記録より現代語訳・要約)

異常な口渇、多飲、多尿、急激な体重減少、そして糖尿病網膜症による視力喪失と末梢神経障害、さらには背中にできた巨大な癰(よう=化膿性皮膚感染症)による敗血症。これらはすべて、重度の2型糖尿病(当時は「飲水病[いんすいびょう]」と呼ばれた)とその合併症の典型的な症状です。道長だけでなく、兄の藤原道隆や藤原道兼、さらには甥の藤原伊周(これちか)に至るまで、藤原北家の中枢メンバーが軒並み同じ飲水病を発症して命を落としています。

なぜ藤原道長の糖尿病と食事はここまで密接に結びついていたのでしょうか。遺伝的体質に加えて決定打となったのが、摂関家の権力を誇示するために頻繁に開催された平安貴族の宴会料理「大饗(だいきょう)」と、希少な甘味である平安時代の唐菓子とスイーツの存在です。

大臣就任披露や正月に行われる「大饗」では、通常の食事とは比較にならないほどの山海の珍味が並びました。一人前の膳に高坏(たかつき)や折敷(おしき)が20〜30皿以上も並べられ、鯉や鯛の刺身、雉や鶉(うずら)の焼き鳥、鮑や海月(くらげ)の和え物、そして山盛りの強飯が提供されます。さらに宴席では、糖度の高い濃醇な日本酒が浴びるように振る舞われました。道長や兄の道隆は無類の酒豪として知られ、連日のように深夜まで酒宴を繰り広げていたことが日記から裏付けられます。

そして、トドメを刺したのが食後のデザートとして供された「唐菓子(からくだもの)」と乳製品です。当時のスイーツには以下のような最高級品が存在しました。

  • 索餅(さくべい)・餢飳(ぶと):小麦粉と米粉を練り、ごま油でカリッと揚げた唐菓子。現代のドーナツやかりんとうに近く、高脂質・高糖質。
  • 椿餅(つばいもち):道明寺粉(もち米)の中に甘い餡や甘葛煎を包み、椿の葉で挟んだ和菓子の原型。
  • 甘葛煎(あまづらせん):ツタ(甘葛)の樹液を煮詰めて作る超高級シロップ。精製砂糖が輸入される前の最強の甘味料で、かき氷(削り氷)や餅にたっぷりかけて食された。
  • 蘇(そ)・醍醐(だいご):牛乳を長時間煮詰めて固めた古代のチーズ・バターに近い発酵乳製品。高カロリー・高脂肪の滋養強壮食。

これらの唐菓子や蘇、甘葛煎は、一般庶民が一生に一度も口にできないほど高価な献上品でした。つまり、権力の頂点に立つ道長のもとには、日本中の「糖質と脂質とアルコール」が一極集中していたのです。毎日4合以上の白米を食べたうえで、油で揚げた唐菓子に甘いシロップをかけ、夜ごと日本酒を痛飲する生活を送れば、すい臓のインスリン分泌機能が破綻するのは必然でした。

森 瞳

森 瞳

ヘルス&ウェルネスアドバイザー

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