昭和の脱獄王・白鳥由栄の真相|4度の破獄手口と超人伝説の最期
白鳥由栄を「単なる冷酷な脱獄魔」とみなすのは、歴史の事実を見誤ることになります。彼の行動記録を詳細に精査すると、すべての脱走に共通する明確な動機が浮かび上がってきます。それは「理不尽な暴力への反発」と「正当な人間的扱いの要求」でした。
当時の日本の行刑施設は、軍国主義と戦時体制の影に覆われ、受刑者の生命や尊厳は極めて軽視されていました。青森や秋田、網走において、白鳥は防寒具も与えられない氷点下の独房に放置され、看守からの日常的な暴行や侮辱に晒されていました。白鳥が逃げ出したのは刑罰から逃れたい一心ではなく、「このままでは看守に殺される」という生存本能と、制度の不正に対する怒りだったのです。
その証拠に、白鳥は脱獄した後に民間人を襲ったり金品を強奪したりすることを極力避けました。秋田刑務所を脱獄した際には、自分を唯一人間として扱ってくれた東京の小菅刑務所典獄(刑務所長)・小林良蔵のもとへわざわざ出頭し、「秋田の処遇があまりに酷い。刑務所の実態を改善してほしい」と直訴しています。白鳥にとって破獄とは、自らの主張を国家に届けるための命がけの手段に他なりませんでした。