安岡正篤と細木数子の関係と婚姻無効騒動の真相|遺産と裁判の結末
この前代未聞の騒動を理解するには、まず両者が歩んできたあまりに対照的な足跡を把握する必要があります。
安岡正篤は、大正から昭和にかけて活動した日本を代表する陽明学者としての経歴を持ち、吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫、中曽根康弘に至る歴代首相指南役として政財界に絶大な影響力を誇った大物黒幕でした。昭和天皇による終戦の詔勅(玉音放送の原稿)の推敲に携わり、元号「平成」の考案者の一人とも目されるなど、国家の根幹に関わり続けた知の巨人です。
一方の細木数子は、波乱万丈な過去の経歴を歩んでいました。若くして銀座の高級クラブを経営し、政財界や芸能界、裏社会の有力者と太いパイプを築き上げる中で頭角を現した実力派の実業家でした。しかし、多額の負債やトラブルを抱えるなど毀誉褒免の激しい人生を送っていました。
二人の細木数子と安岡正篤の馴れ初めは、1983年の春頃とされています。当時、自著の出版や霊感ビジネスの展開を模索していた細木が、東洋思想の最高権威であった安岡のネームバリューと知見を求め、共通の知人を介して安岡の私邸に足繁く通い始めたのが発端でした。当時、すでに妻を亡くし孤独を深めていた安岡の懐に、持ち前の強烈なバイタリティと細やかな気配りで急速に入り込んでいったのです。