邪馬台国九州説はなぜ崩れない?吉野ヶ里発掘と魏志倭人伝の新真相
邪馬台国の九州説と畿内説を比較するうえで、避けて通れないのが奈良県桜井市の「纏向遺跡」および「箸墓古墳」、そして「三角縁神獣鏡」の評価です。
畿内説の象徴である纏向遺跡は、全国各地の土器が集散する都市遺構であり、箸墓古墳を卑弥呼の墓と見立てる主張が考古学の主流派を占めています。しかし、九州説の研究者は年代決定の精度に疑問を投げかけています。国立歴史民俗博物館による放射性炭素(C14)年代測定法では箸墓古墳の築造年代が3世紀中頃まで引き上げられましたが、海洋リザーバー効果や樹木年輪補正の較正誤差をめぐり、依然として4世紀初頭(古墳時代前期)の築造とする慎重論も根強く残ります。
さらに、三角縁神獣鏡を巡る九州説と畿内説の対立は今や決定的です。近畿地方を中心に大量出土する三角縁神獣鏡について、魏の皇帝から下賜された「鏡百枚」とするのが従来の畿内説でした。しかし、中国本土からの同型鏡の出土例が皆無であることや、鏡に刻まれた年号の不整合から、現在では「中国から渡来した工人による日本国内での模倣製作(国産鏡)」という説が学界内外で有力視されています。魏志倭人伝の時代に下賜された本物の鏡は、北部九州の前原市(現・糸島市)平原遺跡から出土した大型内行花文鏡や方格規矩鏡の流れを汲むものだとする九州説の主張は、極めて説得力を持っています。