心の中まで暴かれる危機?知られざる内心の境界線と法的リスク
なぜ内心の自由は絶対でなければならないのか。理由は極めて明快だ。国家が特定の価値観を国民に強制し始めた瞬間、自由な社会の根幹が崩壊するからである。日本国憲法第19条は「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と宣言し、表現の自由や信教の自由といったあらゆる精神的自由権の出発点として機能してきた。
芦部信喜をはじめとする憲法学の潮流では、外的な行動を伴う表現行為には他者との衝突を避けるための制約(公共の福祉)が認められる一方、内心にとどまる限り国家の介入は1パーセントたりとも許されないと解釈されてきた。思想の形成、保持、変更、そして外部への不表明。これらはすべて無条件で保障される。しかし、現実はそれほど単純に割り切れるものではない。国家以外のプレイヤー――とりわけ巨大企業やプラットフォームが力を握る社会において、この防壁はどう機能するのか。