加藤登紀子と赤軍の真相|夫・藤本敏夫との獄中結婚と激動の半生

加藤登紀子と赤軍の真相|夫・藤本敏夫との獄中結婚と激動の半生の全貌を丁寧に掘り下げてご紹介します。

二人の関係が深まる中、藤本に対する実刑判決が確定します。1972年4月、防衛庁襲撃事件などの首謀者として懲役3年8カ月の実刑が下り、藤本は収監されることになりました。その直前の時期、加藤のお腹には藤本との新しい命が宿っていました。

トップ歌手が服役囚の子を産み、結婚するなど当時の芸能界ではあり得ないスキャンダルでした。レコード会社や周囲の関係者からは猛反対を受けましたが、加藤の決意は揺らぎませんでした。1972年5月、加藤登紀子は収監先の八王子医療刑務所で藤本敏夫と婚姻届を提出し、前代未聞の「獄中結婚」を敢行したのです。

加藤が獄中結婚を選んだ理由は極めてシンプルでした。「愛した男が過酷な状況にあるからといって、その手を離すことは自分への裏切りになる」という、表現者としての誠実さと揺るぎない覚悟によるものです。同年、長女を出産した加藤は、世間のバッシングや好奇の目に晒されながらも、歌い手として、一人の母として毅然とステージに立ち続けました。

なお、この1972年初頭には、山岳ベース事件や「あさま山荘事件」を引き起こした「連合赤軍」による凄惨なリンチ殺人が発覚し、社会に大きな衝撃を与えていました。藤本敏夫が所属していたのは初期の「共産同赤軍派」であり、事件を起こした「連合赤軍」とは組織的に異なります。藤本自身はすでに獄中にあり事件には一切関与しておらず、後に連合赤軍の狂気と暴走を厳しく批判しています。

森 瞳

森 瞳

ヘルス&ウェルネスアドバイザー

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