日清戦争の風刺画が暴く130年の真実!ビゴーが描いた魚釣りの罠
ネット上の言説や試験勉強中の学生の間で極めて頻繁に見られる最大の誤解があります。それは「この絵は日清戦争の勝利後、あるいは交戦中に戦況を風刺して描かれた」という思い込みです。
事実を確認すると、この風刺画が掲載されたのは1887年(明治20年)春。ジョルジュ・ビゴーが主宰していた風刺雑誌『トバエ(Tôbaé)』の創刊号(第1号)です。日清戦争の勃発が1894年(明治27年)7月ですから、戦争が始まる実に7年も前に描かれていた計算になります。
当時、朝鮮半島では1882年の壬午軍乱、1884年の甲申事変を経て、日清両国の軍事衝突リスクが極限まで高まっていました。1885年に伊藤博文と李鴻章の間で天津条約が結ばれ、両国軍はいったん朝鮮から撤兵したものの、火種はくすぶり続けていました。ビゴーはこの危うい均衡を一目で見抜き、「いずれこの二国は衝突し、最後にはロシアが介入してくる」という未来を恐ろしい精度で予見していたのです。