延命治療とはどこから?胃ろう・人工呼吸器の中止と尊厳死の真実
終末期医療の現場取材や遺族へのアンケート調査を行うと、延命治療の決断において約6割以上の家族が何らかの後悔や自責の念を抱えているという厳しい現実が浮かび上がります。その内訳を分析すると、決断は正反対でありながら、抱く苦しみは鏡のように酷似しています。
後悔の第1のパターンは、「延命を選択したことへの悔恨」です。高齢の父親が急性呼吸不全で倒れ、医師からの問いに咄嗟に「助けてください、挿管してください」と答えた40代女性は、手記の中で次のように告白しています。
「父の意識は二度と戻りませんでした。浮腫でパンパンに腫れ上がり、両手を縛られ、機械に生かされている父の姿を見るたび、『私は父を生かしたのではなく、苦痛を引き延ばしただけだったのではないか』と自分を責め続けました」
一方で、第2のパターンとして「延命を拒否したことへの罪悪感」も根深く存在します。重度の脳梗塞で倒れた母親に対し、事前の「延命はしないで」という口頭の言葉を信じて人工呼吸器を断った長男は、知恵袋や遺族会で「自分の『拒否します』という一言が母の命を絶ったのではないか。見殺しにしたのではないか」という消えない疑念を吐露しています。
さらに現場を混乱させるのが、医療社会学で「カリフォルニアの親戚シンドローム」と呼ばれる現象です。長年介護を担ってきた同居の配偶者や長男家族が医師と熟慮の末に「自然な看取り」を選択した段階で、普段は疎遠だった遠方の親族(別の兄弟や親戚など)が臨終間際に突然駆けつけ、「なぜもっと手を尽くさないんだ! 見殺しにする気か!」と激昂し、現場の合意を覆してしまうケースです。
この背景には、介護に関わっていない者ほど「死を受け入れる心の準備」ができておらず、自身の罪悪感を医師や同居家族への攻撃に転嫁しやすいという心理学的防衛機制があります。