手塚治虫は何歳で逝ったのか?享年60歳の死因と2026年現在の年齢
手塚治虫の生涯を振り返る上で驚かされるのは、日本漫画史の金字塔となった各名作を手掛けた際の「若さ」です。
手塚がプロ漫画家としてデビューしたのは1946年、わずか17歳(数え年で18歳)の時でした。少国民新聞(現・毎日小学生新聞)に連載された4コマ漫画『マアチャンの日記帳』がその第一歩です。翌1947年、18歳の時に酒井七馬原案による描き下ろし単行本『新宝島』を発表。映画的手法を取り入れたダイナミックなコマ割りで40万部を売り上げ、戦後ストーリー漫画の幕開けを告げました。
国民的キャラクターとなった『鉄腕アトム』の前身である『アトム大使』の連載を開始したのは1951年、22歳の時です。そして翌1952年、23歳の時に本格連載『鉄腕アトム』がスタートしました。弱冠20代前半の若者が、現代の科学倫理やロボットと人間の共生を予見する壮大なSF叙事詩を描き出していたという事実は驚愕に値します。
さらに注目すべきは、手塚治虫最大の代表作の一つである『ブラック・ジャック』の連載開始が1973年、手塚が45歳の時であった点です。当時、自身が率いた虫プロダクションの倒産などにより「手塚はもう終わった作家だ」と業界内で激しいバッシングを受けていました。その逆境を跳ね除け、少年チャンピオン誌上で起死回生の大ヒットを記録したのが45歳の時でした。天才が青年期のひらめきだけでなく、中年期の苦悩と執念によって再び頂点へ返り咲いた瞬間でした。