郷ひろみと西城秀樹の絆|新御三家が刻んだライバル関係と涙の別れ
1970年代初頭、日本の音楽シーンは劇的な地殻変動を迎えていました。先行してデビューしていた野口五郎に続き、1972年に西城秀樹(3月『恋する季節』)と郷ひろみ(8月『男の子女の子』)が相次いでレコードデビューを果たします。メディアは瞬く間に彼らを「新御三家」と名付け、熱狂的なファン層を二分、三分する一大ムーブメントを煽り立てました。
当時の世間が抱いていた最大の関心事は「郷ひろみと西城秀樹の仲は本当に険悪なのか」という点でした。中性的で華奢なルックスから放たれる愛らしさで女性ファンを熱狂させた郷ひろみに対し、西城秀樹は長身と鍛え抜かれた肉体、ハスキーボイスによる絶唱スタイルでロックの熱気を歌謡界に持ち込みました。プロダクションもファンも完全にライバル視し、歌番組の現場ではファン同士の小競り合いが起きるほど張り詰めた空気が漂っていたのは紛れもない事実です。
しかし、当事者である二人の間には、外野の喧騒とは全く異なる空気が流れていました。郷ひろみは後年のインタビューや手記で当時の心境をこう振り返っています。「秀樹がいなかったら、間違いなく今の自分はいなかった。スタジオで秀樹のアクションや圧倒的な声量を見るたび、自分には何ができるのかを必死で考えさせられた」。一方の西城秀樹も生前、「ひろみのあの華やかさとプロ意識の高さは自分にはないもの。認めざるを得ない存在だった」と語っています。
思春期特有のライバル心から、楽屋でベタベタと馴れ合うことはありませんでした。しかし、それは決して不仲ではなく、お互いの領分を侵さず、プロとして最高のパフォーマンスをぶつけ合うための「神聖な距離感」でした。過酷なスケジュールと強烈なプレッシャーを同時に背負った二人だからこそ、言葉を交わさずとも通じ合う孤高の連帯感がそこには存在していました。