真木よう子の若い頃が圧巻!無名塾の挫折から大ブレイクまでの真相
真木よう子の役者としての基盤を語る上で欠かせないのが、名優・仲代達矢が主宰する俳優養成所「無名塾」での日々です。中学卒業後の1998年、彼女は応募倍率100倍を超える超難関(入塾試験の倍率は毎年数百人から数人のみ)を見事に突破し、第22期生として入塾を果たしました。
無名塾といえば、役所広司や若村麻由美らを輩出した徹底したスパルタ指導で知られる演劇界の最高峰です。毎朝の長距離持久走や厳格な発声訓練、徹底的な礼儀作法など、過酷な修行の日々が課されます。しかし、入塾から約半年後、合宿中の日課である早朝ランニングの運用を巡り、師匠である仲代達矢と衝突。「納得がいかないことには従えない」という彼女の妥協なき反骨心から謹慎処分となり、そのまま自ら退塾の道を選びました。
当時の特番インタビューや手記において、彼女自身も「あのときは若気の至りもあったが、自分の心に嘘をついてまで続けることはできなかった」と率直に告白しています。しかし、このわずか半年余りの無名塾時代に叩き込まれた身体表現の基礎と演劇へのストイックな姿勢は、その後の彼女の演技の骨格となり、後に映画界の巨匠たちを唸らせる土台となりました。