昭和の歌姫・宮城まり子の光と影!ねむの木学園に捧げた真実の魂
「福祉の素人が何を思い上がっているのか」「売名行為に過ぎない」――1968年、日本初となる肢体不自由児のための私立養護施設「ねむの木学園」を静岡県浜岡町(現・御前崎市)に立ち上げた際、世間や行政が浴びせた言葉は冷淡極まりないものだった。当時、重度の障害を持つ児童福祉事業は公立病院や隔離施設に委ねられるのが常識であり、一人の女性芸能人が私費を投じて立ち入るなど前代未聞の暴挙とみなされたのだ。
しかし、彼女の決意は揺るがなかった。芸映活動で稼いだ数億円にのぼる資金を惜しみなく注ぎ込み、認可を得るために役所の窓口へ何度も足を運んだ。やがて運営体制を盤石にするため社会福祉法人ねむの木福祉会を設立。施設では単なる保護にとどまらず、絵画や音楽、茶道を通じた感性教育を徹底した。「教えるのではなく、その子の内側にある美しいものを引き出す」。彼女が貫いた教育方針は、のちに子どもたちの絵画が世界各地の一流美術館で絶賛されるという奇跡を生み落とすことになる。