飛田新地料理組合の全貌と歴史|なぜ料亭なのか?風営法と驚きの掟
飛田新地の起源は、1912年(明治45年)に発生した「ミナミの大火」に遡ります。難波新地乙部遊郭が焼失したことを受け、1916年(大正5年)に代替地として認可され、1918年(大正7年)に開所したのが「飛田遊郭」です。近代的な遊郭として計画的に設計されたこの地は、大正から昭和初期にかけて西日本最大の規模を誇りました。
街のあり方を根本から変えた決定打が、1958年(昭和33年)4月1日の売春防止法の完全施行です。全国の赤線・遊郭が廃業や業態変更を迫られるなか、飛田新地が生き残りのために選択した道こそが、食品衛生法に基づく飲食店(料亭)への看板架け替えでした。
この転換期に店舗オーナーたちを結集して結成された組織が「飛田新地料理組合」です。組合は各店舗を「純粋な料亭」として位置づけ、次のような論理構造を確立しました。
店はあくまで「酒類や茶菓子を提供する飲食店」であり、座敷で給仕を行う女性(仲居)と来店客の間に発生する個人的な行為は、店側の管理外における「自由恋愛」である――という見解です。この法的な建て付けにより、売春防止法が禁じる「売春を周旋・管理する営業」への該当を回避し、料亭街としての存続を果たすこととなりました。