市川右團次の現在と家族の絆|名門襲名劇の真相とドラマ陸王の軌跡
歌舞伎界における最大の転機となったのが、2017年1月に行われた三代目市川右團次の襲名です。それまで「初代市川右近」として澤瀉屋(おもだかや)の主力として活躍していた彼が、なぜ81年ものあいだ後継者が途絶えていた上方歌舞伎の大名跡を継ぐことになったのか。そこには感動的な業界内のドラマがありました。
市川右團次の名跡は、幕末から明治・昭和にかけて大阪を中心に活躍した名優が代々名乗ってきた上方(関西)屈指の看板です。しかし、1936年に二代目が亡くなって以降、空席のまま80年以上の歳月が流れていました。大阪出身であり、関西の日本舞踊の家元に生まれた右團次は、歌舞伎の名門の御曹司ではない「部屋子(へやご)」という立場から芸を磨いてきた苦労人です。
昭和から平成にかけて三代目市川猿之助(後の二代目市川猿翁)のもとでスーパー歌舞伎の屋台骨を支え続けた卓越した実力を誰よりも評価していたのが、十三代目市川團十郎白猿(当時・市川海老蔵)でした。市川宗家の後押し、師匠である猿之助の温かい快諾、そして松竹の全面支援が合致し、「上方出身の実力派にこそ、この歴史ある名跡を背負ってほしい」という総意のもとで襲名が実現。屋号を澤瀉屋から名跡本来の高砂屋(たかさごや)へと改め、名実ともに歌舞伎界のトップ幹部へと名乗りを上げました。