東洋の魔女の真実と現在!東京五輪金メダルから読み解く光と影

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日紡貝塚を語る上で欠かせない存在が、大松博文(だいまつ・ひろふみ)監督です。「鬼の大松」と恐れられ、練習中に選手へボールを浴びせ続ける苛烈なノック姿は、昭和の猛烈指導の象徴として知られています。彼が残した「俺についてこい」「為せば成る」という名言は、当時の流行語となり、高度経済成長期に邁進する日本社会全体の牽引フレーズともなりました。

しかし、後年のスポーツバイオメカニクスや心理学的分析から浮かび上がるのは、粗野な精神論者とは正反対の「極めて合理的で科学的な指導者」としての顔です。大松監督自身、第二次世界大戦において地獄の戦場とされたビルマ戦線・インパール作戦に従軍し、数少ない生還者となった過酷な過去を持ちます。死線をくぐり抜けた経験から、「人間は極限状態において迷いが生じた瞬間に命を落とす。だからこそ、理屈を挟む余地のない無意識の反射領域まで反復練習を重ねなければならない」という強固な哲学を抱いていました。

大松監督の指導法の特徴は、徹底した状況設定の細分化にありました。相手スパイカーのフォームの癖、助走角度、審判の判定基準までを克明にデータ化し、コート上の6人が連動して穴を塞ぐトータルディフェンスシステムを構築していたのです。また、サーブにおいても、空中で不規則に揺れて落下する「変化球サーブ(ドライブサーブ・木の葉落とし)」を考案し、相手のレシーブ陣を心理的に崩壊させました。

さらに見落とされがちなのが、コートの外における選手たちとの濃密な関係性です。深夜の練習後には選手たちの体調を細かく気遣い、宿舎では父親や兄のように生活の面倒を見ました。当時のインタビューにおいて、主将の河西昌枝をはじめとする選手たちが「監督を信じていたからこそ、どんな練習にも耐えられた」と口を揃えて語る背景には、現代のハラスメント概念とは異なる、昭和特有の「全人格的な信頼と共存関係」が存在していたのです。

佐々木 一輝

佐々木 一輝

ビジネス戦略アナリスト

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。