巨人ドラ1湯口敏彦の悲劇「湯口事件」の真相と20歳の死因を追う
1972年のオフシーズン、湯口の状態は限界に達していました。食事を受け付けず、幻覚や妄想に苦しむ姿が見られるようになり、球団は極秘裏に彼を都内および近郊の精神病棟へ入院させます。当時、精神疾患に対する世間の偏見は極めて強く、球団側は対外的に「胃潰瘍による長期療養」と発表し、実態を伏せ続けました。
そして1973年3月22日、開幕を間近に控えた春季キャンプの終盤、入院先の病院で湯口敏彦は20歳の若さで息を引き取ります。公式に発表された直接の死因は「急性心不全(心臓麻痺)」でした。しかし、精神安定剤の過剰投与や、拘束状態での衰弱死、あるいは誤嚥による窒息など、不可解な死の背景をめぐって週刊誌各誌が独自の取材を開始し、球団による「隠蔽工作」が一気に明るみに出ることとなりました。
遺族の手記や当時の担当医の証言によれば、過度の精神的ストレスによって発症した重度のうつ状態、あるいは統合失調症様状態にあり、十分な心理的ケアを受けられないまま孤独な隔離病棟で衰弱していった実態が浮かび上がっています。類稀なる才能を持った若者の急逝は、単なる病死ではなく、組織の歪んだ構造が招いた悲劇として球界に激震を走らせました。