マッカーサーの正体|昭和天皇会見の裏側と電撃解任の真相を追う
帰国したマッカーサーは、1951年4月19日に米連邦議会上下両院合同会議で歴史的な退任演説を行いました。その締めくくりで兵営の古い軍歌の一節を引いた言葉は、現在も世界中で引用される屈指の名言となっています。
「Old soldiers never die; they just fade away.(老兵は死なず、ただ去りゆくのみ)」
米議事堂を割れんばかりのスタンディングオベーションが包み、全米は凱旋した英雄を熱狂的に迎えました。しかし、直後の1951年5月に行われた米上院軍事外交合同委員会の公聴会における証言が、後に日本社会で大きな波紋を呼ぶことになります。ネット上や現代の論争でも頻繁に取り上げられる「日本人は12歳」発言です。
公聴会でマッカーサーは、欧米の民主主義の成熟度と日本の現状を比較し、次のように語りました。
「近代文明の尺度で測れば、成熟した白人諸国が45歳前後の成熟期に達しているとすれば、日本人はまだ指導を必要とする12歳の少年の段階にある」
この発言が日本に伝わると、「日本国民を子ども扱いして見下した侮蔑発言である」として大きな反発と失望を呼びました。しかし、公式の公聴会記録全文を精査すると、この言葉の前後の文脈には異なる側面が見えてきます。将軍は続けて「それゆえにこそ、新しい民主主義の制度や思想を素直に吸収し、短期間で目覚ましい学習能力を発揮できるのだ」と語り、ドイツのような頑迷な固定観念を持たない柔軟性をむしろ賞賛する意図を含ませていました。
さらに同じ公聴会において、マッカーサーは「日本が戦争へ突入したのは、主として自国の安全保障と、石油やゴムなどの資源供給を断たれたことによる生存の必要性に迫られたため(自衛戦争の側面があった)」とも証言しています。この発言は、東京裁判(極東国際軍事裁判)で侵略戦争の責任を一面的に追及した立場と矛盾するのではないかと、現在に至るまで歴史論争の火種となっています。