大津事件とは?ロシア皇太子襲撃の謎と司法権の独立を守り抜いた男たち

大津事件とは?ロシア皇太子襲撃の謎と司法権の独立を守り抜いた男たちとはどのようなものなのか? 背景や要点を整理してお届けします。

事件発生から判決が下されるまでのわずか16日間、日本政府と司法内部では昼夜を問わず緊迫した駆け引きが繰り広げられました。その経緯を時系列で整理します。

■ 大津事件の主な経緯年表

  • 1891年5月11日:滋賀県大津市で津田三蔵がロシア皇太子ニコライ2世を襲撃・負傷させる。津田はその場で逮捕。
  • 5月12日:明治天皇が京都へ急行し、負傷したニコライ2世を異例の親訪・見舞い。政府はロシアへの謝罪対応に追われる。
  • 5月13日〜:松方正義内閣・伊藤博文らが「皇室に対する罪(大逆罪)」を適用して津田を死刑にするよう司法へ猛烈な圧力を開始。
  • 5月15日:大審院長・児島惟謙が大津へ赴き、担当裁判官たちに法の厳守と司法権の独立を説く。
  • 5月19日:ロシア本国の指示により、ニコライ2世がロシア艦隊に乗船して神戸を出港・帰国へ。
  • 5月27日:大審院法廷において判決。普通謀殺未遂罪を適用し、津田三蔵に無期徒刑(無期懲役)が言い渡される。
高橋 健太

高橋 健太

ライフスタイル編集者

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。