幕末の奇跡・世界遺産の韮山反射炉!歴史の真相と必見の観光攻略ガイド
韮山反射炉の建造を主導したのは、伊豆韮山代官を務めた江川太郎左衛門英龍(坦庵)です。1853年のペリー来航(黒船来航)によって日本中が震撼する中、英龍は江戸幕府に対して江戸湾防備のための砲台(台場)築造とともに、大型大砲を自前で鋳造するための反射炉建設を建議しました。
大砲を鋳造するには、強度の高い良質な鉄を千数百度という超高温で一気に溶かす必要があります。しかし、通常の木炭風炉ではそこまでの高温を維持できません。そこで採用されたのが「反射炉」の構造です。
反射炉の内部はドーム状の天井になっており、石炭などを燃やした熱と炎を天井で下向きに反射させ、炉床に置いた銑鉄に熱を集中させることで約1,400度以上の高温を作り出します。炎の灰が鉄に混ざらないため、不純物の少ない高純度の鉄が得られる画期的なシステムでした。
最大の難関は、超高温に耐えうる「耐火煉瓦」の製造でした。英龍らは伊豆半島の天城山麓から採れる良質な粘土や白土を発見し、数え切れないほどの失敗と実験を重ねて自前で耐火煉瓦を焼き上げることに成功しました。現在見られる連立した2基・計4本の煙突(高さ約15.7メートル)には、当時の職人たちが手作業で積み上げた耐火煉瓦の緻密な職人技が今も刻まれています。