伊東甲子太郎暗殺の真相とは?新選組参謀が油小路に散った決別の理由

伊東甲子太郎暗殺の真相とは?新選組参謀が油小路に散った決別の理由とはどのようなものなのか? 主要なファクトを整理してお届けします。

分離後、御陵衛士は薩摩藩や長州藩といった倒幕派の志士たちと盛んに接触し、情報収集を進めました。これに強い危機感を抱いたのが土方歳三です。新選組の内部事情や戦術を熟知する伊東一派が敵対勢力と結びつくことは、新選組の組織崩壊に直結するためです。

さらに、伊東が近藤勇の排除(暗殺)を企てているという決定的な情報が新選組側にもたらされます。土方は伊東を抹殺する先制攻撃を決断しました。

慶応3年11月18日(1867年12月13日)夜、近藤は「資金調達の相談」と称して伊東を醒ヶ井通木津屋橋にあった自身の妾宅に招き、酒宴を催しました。伊東は警戒しつつも単身で訪問。歓待を受けて泥酔した帰り道、油小路木津屋橋の交差点付近(現在の京都市下京区油小路通塩小路周辺)の暗闇で、待ち伏せしていた新選組の選抜隊士(大石鍬次郎ら)が一斉に襲撃しました。

伊東は鎖帷子の上から槍で喉元を突かれ、致命傷を負いながらも刀を抜き、「奸賊、奸賊!」と叫びながら近くの本光寺の門前で絶命しました。享年33。武士としての矜持と知略を兼ね備えた天才参謀の、あまりに呆気ない幕切れでした。

山本 拓海

山本 拓海

ヘルス&ウェルネスアドバイザー

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。