天智天皇と天武天皇は兄弟か?非兄弟説と壬申の乱に隠された真相
古くから定説とされてきた「同母兄弟説」に対し、歴史学者や古代史ファンの間で半世紀以上にわたり白熱した議論が続いているのが「天智・天武 非兄弟説」です。
なぜ実の兄弟という公式見解に疑念が投げかけられるのか。その最大の論拠は、『日本書紀』に記された「生年の不自然な欠落」にあります。
天智天皇については「舒明天皇13年(641年)に16歳」と明確に記されており、西暦626年生まれであることが確定しています。ところが、その後の大英雄であり『日本書紀』の編纂を命じた張本人であるはずの天武天皇に関しては、出生年の記述が一切存在しないのです。前後の天皇において生年を記録しない例はあるものの、国家の基礎を築いた偉大な大王の享年や生年が意図的にぼかされている点は、第一級の史料批判において最大の疑問点とされてきました。
この謎に対し、歴史学者の小林恵子氏や遠山美都男氏ら複数の論客から、以下のような大胆な仮説が提示されています。
- 仮説1:天武年長説
天武天皇の長子である高市皇子の推定生年(654年頃)などから逆算すると、大海人皇子は中大兄皇子よりも年上だったのではないかという説。もし大海人が年上であれば、母(宝皇女)の長男が中大兄であるという公式記録と激しく矛盾します。 - 仮説2:異父兄弟・別系統豪族説
宝皇女が舒明天皇へ再嫁する以前の前夫(高向王)との間に生まれた漢皇子(あやのみこ)こそが大海人皇子ではないかとする説。あるいは、息長氏など別の有力豪族の血を引く実力者だったとする見解です。
後世に成立した正史『日本書紀』は、天武天皇の皇統が自らの正統性をアピールするために編纂された書物です。もし天武天皇が「正統な皇統の簒奪者」であった場合、その出自を中大兄皇子の同母弟へと書き換える強力な政治的動機が存在したことになります。完全に同一の両親から生まれた兄弟だったのか、それとも政治的同盟のための擬制兄弟(義理の兄弟)だったのか――古代史最大のミステリーは、令和の今もなお解明されていません。