月日は百代の過客にしての真意とは?おくのほそ道冒頭と旅立ちの真相
芭蕉が挑んだ『おくのほそ道』の旅が、同時代の社会状況や一般的な旅と比べてどれほど異例であったのか、客観的な数値データと経歴年表をもとに比較検証します。
以下は、松尾芭蕉が俳諧師として身を立て、旅立ちを経て『おくのほそ道』を完成させるに至る重要な経歴年表です。
【松尾芭蕉の主要経歴年表】
- 正保元年(1644年):伊賀国上野(現在の三重県伊賀市)に生まれる。幼名は金作、通称は宗房(むねふさ)。
- 寛文2年(1662年)頃:藤堂藩の侍大将・藤堂新五郎家の嗣子である良忠(俳号・蝉吟)に仕え、俳諧の世界に足を踏み入れる。
- 延宝3年(1675年):江戸へ下る。日本橋での神田上水改修工事の事務に従事しながら俳壇で頭角を現す。
- 延宝8年(1680年):深川の草庵(芭蕉庵)に移住。門人から贈られたバナナ科の植物「芭蕉」を愛し、俳号を「芭蕉」と改める。
- 貞享元年(1684年):『野ざらし紀行』の旅に出発(数え41歳)。これ以降、旅を創作の根幹に据える。
- 元禄2年(1689年):数え46歳で河合曾良とともに『おくのほそ道』の旅へ出発。
- 元禄7年(1694年):『おくのほそ道』の素龍清書本が完成。同年10月12日、大坂の旅宿にて客死(享年51)。辞世の句は「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」。