インド大反乱の全貌|弾薬包の疑惑から東インド会社解散と帝国の終焉
日本の歴史教育現場や一般の教養書において、長らく「セポイの乱」と表記されてきたこの事象ですが、近年では「インド大反乱」あるいは「第一次インド独立戦争」という呼称が定着しています。この用語の変遷には、植民地主義的な史観の見直しが深く関わっています。
もともとセポイ(Sepoy)とは、ペルシア語やヒンディー語で「兵士」を意味するシパーヒー(Sipahi)をイギリス人が英語風に訛って呼んだ蔑称的なニュアンスを含む言葉でした。「セポイの乱」という命名は、イギリス側が「雇い主である東インド会社に不満を抱いた一部のインド人傭兵による規律違反・反抗」として小規模に矮小化しようとした意図を色濃く反映しています。
しかし実態は、兵士の蜂起をきっかけに、領地を奪われた旧封建領主、重税に苦しむ農民、仕事を奪われた職人、宗教者までもが次々と合流した民族的・全社会規模の反植民地闘争でした。そのため現在の世界史研究では、傭兵の暴動にとどまらない広範な反乱実態を正確に表すため、現地語に即した「シパーヒー」という呼称を用いつつ、全体の事件名としては「インド大反乱」と表記するのが国際的なスタンダードとなっています。