妹尾氏のルーツと歴史の真相|平家勇将・妹尾兼康の家系図と現在
妹尾氏の歴史において最大の輝きを放つ人物が、平安末期に活躍した妹尾太郎兼康(せのお たろう かねやす)です。兼康は平清盛からの信任が極めて厚く、保元の乱や平治の乱、さらには鹿ケ谷の陰謀における首謀者捕縛など、平家政権の命運を左右する重大事件の現場で常に第一線に立ちました。
武勇に優れた武将としての経歴が際立つ兼康ですが、領主としての民政手腕も卓越していました。妹尾の地において、十二ヶ郷用水などの開削や堤防の築造を指揮し、不毛の湿地帯を肥沃な美田へと生まれ変わらせた功績は極めて大きな意味を持ちます。この治水事業によって地元住民から「名君」として深く敬愛され、その恩恵は数百年を経た今も岡山平野の農業を支えています。
治承・寿永の乱(源平合戦)において、兼康は倶利伽羅峠の戦いで捕虜となりながらも、木曾義仲軍の隙を突いて脱出。備中国で再び平家方の兵を集めて蜂起(福隆寺縄手の戦い)したものの、義仲の腹心・今井兼平の軍勢と激闘の末に討ち死にを遂げました。敵方からも称賛されたその最期の武士道は、後世の『平家物語』や軍記物語の中で劇的な真相とともに語り継がれています。