チューリップ『心の旅』ボーカル交代劇の真相と名曲誕生の全貌
『心の旅』を語る上で避けて通れない最大のミステリーが、作詞・作曲を手掛けたリーダーの財津和夫ではなく、当時21歳だったキーボード兼ギター担当の姫野達也がメインボーカルを務めた経緯です。
1971年に福岡で結成されたチューリップは、1972年に『魔法の黄色い靴』で東芝EMIからメジャーデビューを果たしました。しかし、1枚目のシングル、そして続く2枚目の『一人の部屋』ともに商業的なセールスは振るわず、レコード会社や所属事務所からは「次のシングルが売れなければ福岡へ強制送還(契約解除)」という最後通牒を突きつけられていました。
まさにグループの生命線が絶たれようとしていた時、当時の担当音楽ディレクター・新田和長氏が下した決断が「ボーカルの交代」でした。新田氏は、財津和夫の歌声が持つ哀愁や深みを評価しつつも、当時のティーンエイジャーや女性層を爆発的に惹きつけるには、姫野達也の持つ「甘く瑞々しいハイトーンボイス」と「爽やかなルックス」が不可欠であると見抜いたのです。
財津自身は後年の手記や特番インタビューにおいて、当時の胸中を率直に告白しています。自らが心血を注いで書き上げ、当然自分が歌うつもりで吹き込んだデモテープに対し、「ボーカルを姫野に変えろ」と命じられた瞬間は、作家としてのプライドを深く傷つけられ、激しい屈辱感と葛藤に苛まれたと述懐しています。しかし、バンドの存続という冷酷な現実を前に、財津はエゴを飲み込み、姫野へのボーカル委託を決断しました。この冷徹とも言えるプロデュース戦略が、結果としてバンドの運命を劇的に好転させることになります。