なぜ日本は忖度をやめられないのか?歪む意思決定と組織の病巣
「忖度」という言葉のルーツは古代中国の古典『詩経』にまで遡る。「他人の心根を推し量る」という意味を持つこの語は、他者への深い共感や配慮を示す高潔な営みとして用いられていた。茶の湯の精神やおもてなし文化にも通じる、言外のニュアンスを汲み取る知恵。それが本来の姿だった。
亀裂が生じたのは、この知恵が上下関係の厳しいヒエラルキーと結びついた瞬間だ。「相手を思いやる」ベクトルが「上位者の不興を買わないための防衛」へと反転した。言葉は生き物であり、社会の鏡だ。敬意から生まれたはずの推察が、いつしか保身のためのアンテナへと矮小化されていった歴史的文脈を見落としてはならない。
現代において人々がこの言葉を耳にするとき、そこには美しさなど微塵も残っていない。漂うのは、自発的従属の匂いだ。「頼まれてもいないのに勝手にやった」という言い訳を用意するための、極めて都合の良い免罪符として機能している。