中島らもの壮絶な死の真相|今も愛され続ける鬼才の伝説
中島らも(本名:中島裕之)の歩みは、エリートのレールを踏み外しながら自らの才覚だけで道を切り拓いた、破天荒かつ極めて知的なものでした。名門・灘中学校・高等学校に進学するも、学校の画一的な教育方針や受験競争に強い違和感を抱き、ドロップアウト寸前の青春時代を過ごします。その後、大阪芸術大学芸術学部放送学科を卒業し、広告制作の世界へと足を踏み入れました。
彼の才能が最初に世に知れ渡ったのは、広告コピーライターとしての仕事です。特にカネテツデリカフーズの新聞広告シリーズ『啓蒙かまぼこ新聞』では、広告の常識を覆すシュールでナンセンスなギャグと知的なパロディを展開。「ちくわ」や「かまぼこ」を題材に読者を爆笑させ、関西を中心に爆発的なカルト的人気を獲得しました。
1980年代半ばからは活動領域を一気に拡大させます。1986年には劇団「リリパットアーミー」を結成し、座長として自ら脚本・演出・出演を担当。関西小劇場ブームを牽引する中心的存在となり、わかぎゑふをはじめとする個性豊かな演劇人を多数輩出しました。さらに、読売テレビ『EXテレビ』やラジオ番組へのレギュラー出演、ロックバンド「PISS」での音楽活動など、メディアを縦横無尽に駆け抜けるマルチクリエイターとして独自の地位を築き上げたのです。