坂本勇人とマー君の絆と軌跡|小学校バッテリー秘話から2026年現在地まで
坂本勇人と田中将大の物語の始まりは、兵庫県伊丹市立昆陽里(こやのさと)小学校時代に遡ります。二人が所属していた少年野球チーム「昆陽里タイガース」において、当時組まれていたバッテリーは、現代のプロ野球ファンからすれば驚くべき配置でした。「エースピッチャーが坂本勇人、キャッチャーが田中将大」だったのです。
当時のチーム事情や指導者の証言によると、少年時代の坂本は抜群の運動神経と強肩を誇り、球威のある本格派投手としてマウンドに立っていました。一方の田中は、坂本の投げる力強いボールを確実に受け止められる屈強な体格と高い捕球技術を持っていたことから、正捕手として扇の要を任されていたといいます。
当時の特番インタビューや手記で語られたエピソードによれば、坂本は「マサ(田中)は当時から体が大きくて、壁のように球を全部止めてくれた」と振り返り、田中も「勇人は球が速くてコントロールも良かった」と回顧しています。打順でも坂本が「1番・投手」、田中が「4番・捕手」を務めるなど、当時からチームの投打の軸として圧倒的な存在感を放っていました。
中学校進学後、坂本は伊丹シニア、田中は宝塚ボーイズへと進み、高校では坂本が青森県の光星学院高校(現・八戸学院光星高校)、田中が北海道の駒澤大学附属苫小牧高校へとそれぞれ越境入学。異なるルートで甲子園の舞台を目指すことになりますが、少年時代に培われた互いへの敬意とライバル心は、離れた地でも常に刺激となり続けていました。