大宮は何県?東京や神奈川と勘違いされる理由とさいたま市の真実を追う
大宮を深く知るうえで避けて通れないのが、隣接する「浦和」との関係性とさいたま市誕生の歴史的経緯です。
かつて埼玉県内では、「商業・交通の大宮」と「県庁・文教の浦和」という明確な二項対立が存在していました。大宮市は鉄道網と一大商業圏を武器に経済の中心地として栄え、一方の浦和市は県庁や裁判所などの官公庁が集積し、埼玉県立浦和高等学校をはじめとする名門校を擁するエリート住宅都市としての誇りを持っていました。両市民の間には長年にわたる強烈なライバル意識が存在し、合併協議は昭和初期から何度も浮上しては頓挫を繰り返してきた歴史があります。
転機が訪れたのは1990年代後半です。国の出先機関を東京から移転させる「さいたま新都心」計画が具体化し、首都機能の受け皿となる政令指定都市の創出が急務となりました。国や県の強力な主導のもと、2001年に大宮市・浦和市・与野市が合流し、新市名公募を経てひらがなの「さいたま市」が発足しました(2005年には岩槻市も編入)。
市名決定の過程でも「大宮市」「浦和市」「埼玉市」の間で激しい議論が巻き起こり、最終的にひらがなの「さいたま市」に着地した背景には、両雄のプライドを折衷させる苦渋の政治的決断がありました。現在でもサッカーの「埼玉ダービー(大宮アルディージャ vs 浦和レッズ)」に代表されるように、それぞれの地域が独自のアイデンティティを保ちながら、134万人を超える巨大自治体の両輪として機能しています。