コンクリ事件の全貌と主犯の現在に迫る|防げなかった凶行の深層
1988年11月、埼玉県内で突如として消息を絶った当時17歳の女子高生。連れ去られた先は、足立区内にあった少年グループのリーダー格の実家2階だった。41日間に及ぶ監禁。激しい暴力、飲食の制限、執拗な暴行。犯行グループは被害者を逃走不能な状態に追い込み、同世代の不良少年らを次々と呼び寄せていた。
翌年1月、被害者は衰弱の末に息を引き取る。少年らは遺体をドラム缶へと入れ、産業用コンクリートで固めた上で江東区若洲の埋立地に遺棄した。後に警視庁刑事部が別件の逮捕をきっかけに遺体を発見した際、現場のベテラン捜査員すら言葉を失ったという。正式名称である「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の残虐性は、昭和から平成へと移り変わる過渡期の日本社会に拭い去れないトラウマを刻みつけた。