鎌倉の秘境「瓜ヶ谷やぐら群」の謎と現在|立ち入り制限や歴史の真相
瓜ヶ谷やぐら群を目にした者が一様に抱く疑問が、「なぜこれほど険阻な谷の奥に、密集してやぐらを掘る必要があったのか」という点です。その背景には、当時の都市計画と仏教的な浄土信仰が複雑に絡み合っています。
13世紀の鎌倉幕府は、衛生面や都市防衛の観点から、市街地中心部での死者埋葬を厳しく制限しました。その結果、山裾の谷戸奥が聖地兼墓域として選定されるようになります。特に岩肌をくりぬいて洞窟を作る行為は、釈迦が修行したとされる岩窟や、密教の胎蔵界思想に通じる神聖な行為とみなされました。極楽往生を願う武士や僧侶たちは、自らの家系や師弟関係を示すため、隣接する岩壁に次々とやぐらを穿ち、五輪塔や納骨穴を設けて手厚い供養を重ねたのです。