なぜ後醍醐天皇は吉野へ逃れたのか?南朝誕生の真相と悲劇の歴史を解く
Q1:後醍醐天皇が吉野に南朝を開いた際、なぜ北朝と同時に2人の天皇が存在できたのですか?
A1:足利尊氏が京都で光明天皇(北朝)を擁立した一方、幽閉を脱出した後醍醐天皇が「北朝に渡した三種の神器は偽物であり、本物を持つ自分が正統な天皇である」と宣言して吉野(南朝)で朝廷を開いたためです。この結果、正統性を主張する2つの朝廷が約56年間にわたって並立する南北朝時代が生じました。
Q2:吉水神社に残る「後醍醐天皇玉座の間」は実際に見学できますか?
A2:はい、拝観可能です。奈良県吉野町にある吉水神社(旧吉水院)では、後醍醐天皇が実際に政務を執った「玉座の間」をはじめ、後醍醐天皇ゆかりの宝物や、源義経・弁慶の潜居の間、豊臣秀吉の花見本陣の遺構などが一般公開されています。
Q3:なぜ吉野の如意輪寺にある後醍醐天皇陵(塔尾陵)は北を向いているのですか?
A3:後醍醐天皇が吉野で崩御する際、「魂は常に都の天を望む」と遺言を残したためです。通常、天皇陵は南向きに造られますが、京都(北側)の空を永遠に見据え、皇位の奪還を諦めない強い執念を象徴して北向きに築造された日本唯一の御陵となっています。