吉宗の鷹狩りはなぜ復活?暴れん坊将軍が隠した軍事演習と民情の真相
徳川吉宗が主導した鷹狩り復活の意義を理解するには、まず徳川綱吉が生類憐みの令によって鷹狩りを廃止した歴史的背景に目を向ける必要があります。綱吉の治世下では、犬をはじめとする動物愛護令が次々と出され、元禄時代には将軍家の伝統武芸であった鷹狩りが完全に禁止されました。鷹場は撤廃され、飼育されていた鷹は山野へ放たれ、代々技術を継承してきた鷹匠の役職も解体・配置転換を余儀なくされたのです。
しかし、正徳の治を経て1716年に紀州徳川家から第8代将軍に迎い入れられた吉宗は、就任から間もない享保元年(1716年)に早くも鷹狩りの再興を宣言します。当時、100年以上続く平和によって武士階級はすっかり骨抜きとなり、刀の手入れも怠るほど武芸の衰退は深刻を極めていました。さらに幕府の財政難も重なり、武士層の士気低下は幕府支配の根幹を揺るがす危機だったのです。
吉宗断行の「享保の改革」は、倹約令や新田開発ばかりがクローズアップされがちですが、本質は「初期徳川幕府の武威の復活」。綱吉政権下で徹底的に軟弱化した文治政治から脱却し、初代家康や3代家光が重んじた質実剛健な気風を取り戻すための象徴的施策として、あえて禁忌とされていた鷹狩りの大復活に打って出ました。