山田五十鈴の伝説と真実|必殺仕事人秘話や娘・瑳峨三智子との波乱を追う
山田五十鈴の生い立ちは、芸道と切っても切れない宿命に彩られていました。父親は新派劇の著名な女形俳優・山田九州男、母親は芸妓の一力律という芸事の血筋に生まれ、幼少期から日本舞踊や清元節の英才教育を叩き込まれます。家計を助けるために10代前半で日活に入社すると、若い頃の写真からも一目で伝わる圧倒的な美貌と凛とした気品でたちまち脚光を浴びました。
しかし、家庭人としての歩みは平坦ではありませんでした。山田五十鈴の結婚歴を振り返ると、生涯で4度の結婚と離婚を経験しています。1936年に最初の夫である俳優・月田一郎との間に長女・勝美(後の女優・瑳峨三智子)をもうけますが、やがて離婚。その後も劇作家の瀧口芳人、名優の加東大介、俳優の中村彰らと婚姻関係を結び、さらに三国連太郎とのロマンスなど、恋多き女性としても常に世間の注目を集めました。
なかでも世間の耳目を集め続けたのが、母と同じく銀幕のスターとなった愛娘・瑳峨三智子との関係です。母親譲りの天性の美貌と高い演技力で一世を風靡した瑳峨三智子でしたが、偉大すぎる母への強烈な対抗心と孤独から、次第に私生活で金銭トラブルや体調不良に苦しむようになります。母と娘の強固な絆と激しい確執は長年メディアに取り上げられ、1992年に娘が57歳の若さで急逝した際、山田五十鈴が見せた深い悲痛の表情は多くの人々の胸を打ちました。