黒柳徹子の若い頃が超絶美人!オードリー激似写真と伝説の真相
黒柳徹子さんのビジュアル変遷を語る上で欠かせないのが、1971年のニューヨーク留学です。当時、日本国内でレギュラー番組を多数抱え、分刻みの過密スケジュールを送っていた彼女は、「このままでは人間として擦り減ってしまう」という危機感から、周囲の大反対を押し切って1年間の休業を決断しました。
マンハッタンでの生活において、彼女はブロードウェイの舞台に通い詰め、演劇レッスンを受ける傍ら、現地の多様なカルチャーとモードファッションを吸収していきました。体型を隠すのではなく、自身の華奢なウエストや首筋の美しさを引き立てるカッティングの服を選び、海外のパーティーではあえて日本の伝統的な着物をアレンジして出席するなど、セルフプロデュース力を劇的に進化させました。
現在トレードマークとなっている「玉ねぎヘア」も、この留学期から帰国後にかけて、世界的ヘアメイクアーティストの須賀勇介氏らとともに考案されたものです。「どこから見ても黒柳徹子だと分かり、着物にも洋装のイブニングドレスにもマッチし、髪の中に小物を忍ばせることもできる」という機能美とオリジナリティを兼ね備えたスタイルは、彼女のアイコンとして世界中に認知されることとなりました。