蔦屋重三郎は何した人?歌麿・写楽を世に出した江戸の天才の正体と生涯
江戸のカルチャーシーンを牽引し続けた蔦屋重三郎でしたが、その最期はあまりに突然訪れました。寛政9年(1797年)5月6日、数え年50歳(満48歳)でこの世を去ります。
蔦重の直接の死因は「脚気衝心(かっけしょうしん)」とされています。当時、精白された白米を主食とする江戸の町人の間で大流行したビタミンB1欠乏症(いわゆる「江戸患い」)が悪化し、心不全を引き起こした状態です。
病床にあっても企画を練り続け、次世代の才能に目を配っていたと伝えられています。墓所は東京都台東区浅草の正法寺に現存しており、彼が切り拓いた出版ネットワークと精神は、弟子の番頭や作家たちへと受け継がれていきました。